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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

戯曲 天使達のララバイ 連載中

これは喜劇である。

  作品の中で福祉への怒りによって言葉が乱雑になるところがあ るやも知れませんが、決して差別、揶揄として使っているのでは ないことをここに記したい。物を書く者にとって表現の限界まで 、すれすれまで迫りたいと考えております。全く悪意はありませ ん。そのことをお断わりしておきます。




天 使 達 の ララ バイ



         登場人物は稿の終わりに記す。

         時  現代の何時の時季でもいい。

         場所 何処でも可、日本語の通じるところ。

         情景 郊外の病院。

            ディケァールームが下手に造られている。窓にブラインド。

            長椅子(ソファー)が整然と並べられている。緑の電話。観賞用の樹木が数鉢、清潔な壁

には抽象画が懸かっている。テレビ、本棚、新聞架け、等が見える。病気の説明書、入 

            院についての注意書き、喫煙の場所、等が観客側から見えること。

            また、上手には病室が見える。六人部屋である。上手側が窓になっていて、外が    

見える。樹木が覆っている。

            室内はベツドが対面するように並べられ、患者台の上にテレビ、花瓶、薬缶等、   

            床に見舞い客用の丸椅子、が、

            観客が見えるという配置である。

            小劇場の場合はケァルームのみで工夫して演じることを願う。

            この舞台は、ある病院での一日一日を演じ切るというものである。多少の現実離    

            れは、誇張は、舞台の必然であると考えて頂きたい。また、病院経営、並びに患    

            者、看護婦、医師は、舞台の表現者として登場するため、超非現実でも構わない    

            。寧ろその方が最適であろう。総ての事は厚生省の非人道的な在り方を問うものとして

             ここに上梓したとお考え願いたい。この舞台を作者の設定で創造することはない。

            演出、役者、の美学と感性に委託するものとす。

            分かりにくい表現は、呪縛怨霊信仰から出ていると判断願いたい。仏教の精神真   

            髄とは異なり、神官の熊野、伊勢神社崇拝でもない。あくまで、原始の人間がな     

            にもなかった所から手を合わせた内外の精神恐怖を諌め鎮めるという浄化の産物   

            である。



            開幕すると、

            舞台中央に細い明かりが下りる。

            その明かりが段々と広がり二間位の明かりが舞台に輪を描いたようになる。明か   

            りは佇み立ち停まっているように見える。が、観客が何をしているんだろうと想     

            った瞬間に絞り込まれ、ホリゾントに放り投げられ、その時、ホリゾントは青空      

            に変わる。それまでホリゾントは明かりが点いていないこと。

            ホリゾントの返しが舞台に跳ね返ってくる時に緩やかに下手のケァールームの明    

            かりが点くという事である。

            明かりが点くと、ボリュームが大きいデ ィスコダンスのリズムが流れ出す。実は    

            前から流れていたのかもしれない。

            若者の音楽は年寄に好い作用を齎らす。その音楽の中を様々なパジャマを着た老  

            人が、奇妙な踊りを興じている。まるで古代の土を踏むような仕種である。

            破水の中で子宮の壁を蹴り上げた動くことの最初の様でもある。

            信、義、孝、忠、仁、尊、敬、徳と名の付く老人が恍惚とした表情でリズムを刻      

            んでいる。名前は男女の区別はない。

            男と女の区別だけでいいのだが、台詞を語るための便宜上漢字を使わして頂く。   

            踊りの中で時たま奇妙な発声が聞こえる。発せられる声は無秩序の様に聞こえた   

            が、そうではなく、ある間隔を保ち伝達する単語に為っている事に気付く筈であ     

            る。

            天皇の名は登場する人達が随所で語る。以下を此処に記す。



 天皇に名  神武・綏靖(すいせい)・安寧・懿徳(いとく) 孝昭・孝安・孝霊・孝元・開花・崇神・垂仁・景行・成務・仲哀・応神・仁徳・履中・反正・允恭(いんきょう)・安康・雄略・清寧・顕宗・仁賢・武烈・継体・安閑・宣化・欽明・敏達(びたつ)・用明・崇峻・堆古・舒明(じょめい)・皇極・幸徳・斎明・天智(てんじ)・弘文・天武・持統・文武・元明・元正・聖武・孝謙・淳仁・称徳・光仁・桓武・平城・嵯峨・淳和(じゅんな)・仁明・文徳・清和・陽成・光孝・宇多・醍醐・朱雀・村上・冷泉・円融・花山・一条・三条・後一条・後朱雀・後冷泉・後三条・白河・堀河・鳥羽・崇徳・近衛・後白河・二条・六条・高倉・安徳・後鳥羽・土御門・順徳・仲恭・後堀河・四条・後嵯峨・後深草・亀山・後宇多・伏見・後伏見・後二条・花園・後醍醐・後村上・長慶・後亀山・後小松・称光・後花園・後土御門・後柏原・後奈良・正親町(おおぎまち)・後陽成・後水尾(ごみずのお)・明正・後光明・後西・霊元・東山・中御門・桜町・桃園・後桜町・後桃園・光格・仁孝・孝明・明治・大正・昭和・・・。

       (網かけは女帝)

            以上の天皇の名前は随所で使われる。

            佳く聞くと、神武から始まる歴代天皇の名を口にしているのだ。その声が観客に    

            伝わり始めるとディスコダンスリズムは少しづつ低くなり、潮が退くように、つ       

            まり声の邪魔にならないようにする。

            声が段々大きくなり、てんでんばらばらであったものが、発声練習の様に一つの    

            ものになる。

            少しづつ声は大きくなりリズム感のあるものになる。そして、踏む足音と声が舞     

            台の上から観客席に段々と浸透して行く。

            下手に地明かりが降り注ぐと同時に老人たちの動きが停止する。観客から見れば   

            何の変哲もない老人たちの姿が見える筈である。

            その外、戦前の教育勅語、国民学校の初等科の教科書「サクラサイタ・・・」等      

            の国民が覚えていた語句の羅列である。初等小学校の国語の教科書の最初。



       サイタ サイタ サクラガサイタ

       ススメ ススメ ヘイタイススメ



       教育勅語

       朕思うに我が皇祖皇宗國をはじむること宏遠に徳をたつること深厚なり我が臣民克く忠に克く孝に億兆心をいつにして世世厥(かんばせ)の美を済ませるは此れ國礼(こくたい)の精華にして教育の深淵亦實に此処に存すや臣民の父母に孝に兄弟に友(ゆう)に夫婦相和し朋友相信じ恭儉(きょうけん)己れを持し博愛衆に及ぼし学を修め業を習い以て智能を啓発し徳器を成就し進んで公益を広め世務(せいた       い)を開き常に国憲を重んじ國法に従い一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべしかくの奴きは独り朕が忠良の臣民たるのみならす又以て此れ祖先の遺風を顕彰するにたらん         その道は實に我が皇祖皇宗の遺訓にして子孫臣民のともにそん守すべき所これを古今に通して謬(かわ)らずこれを中外に施して悖(もた)たらす朕よく臣民とともに拳拳服応してよく其の徳をいつにせんことを庶幾(こいねが)う

       (適撰に使われる事)

            が、最初の明かりのないとき、または独白の時に使われる。

            看護師朋子(26)が登場する。

朋子  今日は藤本朋子が皆様のお世話をさせて頂きます。ここで 自己紹介をしていただきましょうか。

     いいですか、ご自分の名前をはっきりと言って頂きましょう。



            様々な恰好で寛いでいる老人。なんだかうわの空である。が、だんだんとその気    

            になって言いだす。



信  朕は神武天皇である。

義  朕は桓武天皇である。

孝  孝明女帝なのだわ。

忠  白河天皇である。

仁  朕は仁徳天皇である。

尊  天武天皇である。

敬  持統女帝なのよ。

徳  嵯峨天皇だわーよん。



            とそれぞれ名乗るって知らん顔をする。

朋子  まあ、皆さん、今が戦前なら不敬罪で投獄されているところですょ。真面目に・・・。



            それぞれ佇まいをして、



孝  わちきは、「枕草子」を書いた紫式部でありんす。

義  我輩は、「我輩は猫である」を書いた芥川龍之介である。

仁  拙者は「五輪書」をものにした佐々木小次郎で御座る。

忠  この私は「徒然草」を記した西行法師であります。

徳  何を隠そうこの私こそ、「おくの細道」をこの世に現した在原業平であるぞい。

敬  まあまあ、なんと言う戯言を・・・。みんな間違っています 。「枕草子」は和泉式部、「我輩は猫である」は尾崎紅葉、「五輪 書」は孔子、「徒然草」は紀貫之、「おくの細道」は与謝野晶子・・・。なんと言う教養のなさでしょうか・さて、この私は「たけくらべ」を書き、一家を支えた薄幸の美人作家の・・・ええと・・・えええと・・。

尊  けしからん、日本を代表する文学作品、並びに偉人を忘れる とは、この私は生まれてすぐに、「史記」を枕にし、「資本論」 を腰掛け代わりにし、「古事記」「日本書紀」を子守歌とし、「 万葉集」「古今、新古今和歌集」を玩具として、古今を問わず記 し印された和書洋書を蹴散らかして生きて参った。

敬  ああ、思い出した。「青鬼の褌を洗う女」をも書いた林芙美子でしたわ。

尊  あれは、岡本かな子でしょうが・・・。

仁  言わせておけば、頭に乗りおって・・・。

孝  許せませんことよ。わちきが紫式部でないという証拠がありんすか。

尊  なんと言う嘆かわしい連中か、この私の経歴をして文学にいかに詳しいかを、その造詣の深さは万民の認めるところである。その私が言っているのだからして・・・。

義  して名はなんと言われるのかな。

尊  それは・・・。

忠  何でもいいではないの。

信  曖昧なものを曖昧にしているこの世間が曖昧なのだからして・・・。

義  はっきりとしないほうが物事は進みやすいということもあります。

仁  であるが、この場合ははっきりきつちりとことんと・・・。                            

孝  これほどまでに愚弄の数々を積み重ねた放言の中から、真実の欠片を披露するのが識者の見識というものではありませんか。 貴方が誠の識者なら・・・。

敬  私は存じております。あれは本当に寒い日でした。北風にガラス窓がカタカタと震え、障子の紙が寒さの為にパリパリリと破れている日でしたわ。私は机に向かい原稿用紙に浮きと書いて、悴んだ手に息をかけて 、窓の外を眺めると雲が走っていたのが見えたのです。

尊  それでついつい雲と書き・・・。

敬  「浮雲」・・・私は本当は坂口安吾なのです。その私が言うのもなんですが、この人は亀井勝一郎、いいえ、伊藤整、いいえ 、小林秀雄。

尊  おお、あの「俊寛」「本居宣長」を書かれたのは・・・。

仁  あなたでしょうが・・・。

尊  何を馬鹿なことを、「千利休」を書いたのが私だとは・・・ 。



            朋子がにこにこしていたが、



朋子  はい。今日は中々・・・。お元気でいいですこと。

 あの「枕草子」は清小納言であり、「我輩は猫である」は夏目漱 石であり、「五輪書」は宮本武蔵であり、「徒然草」は吉田兼行 であり、「奥の細道」は松尾芭蕉であり、「たけくらべ」は樋口 一葉であり、「青鬼の褌を洗う女」は坂口安吾であり、「浮雲」 は林芙美子であり・・・。小林秀雄は正しいようですわ。



            その言葉を聞いてみんなが意気消沈する。が・・・。それぞれが戦前の「教育勅語」を喋

            りだす。

            また、天皇の年譜を喋りだす。

            その声は大地から湧き出るようである。此れは、一種の抗議である。



朋子  はい判りました。ではこれから頭の体操をして見ましょう か?

 体操其の一・大國主命を祀ってある神社はなんと言うのでしょう ?

尊  この私を馬鹿にしているのか・・・。

敬  日本書紀には天照大師に國を譲って・・・。

孝  伊勢神宮を・・・。

尊  何をのぼけて・・・。出雲大社に決まっているではないか・ ・・。

朋子  尊卓さんは非常に造詣が深いようですね。

尊  常識、である。

朋子  では、今日の昼ご飯は何を食べたのでしょうか?

尊  それは・・・。神武・・・(歴代の天皇の名を喋る)

孝  たぶん、サーロインステーキです。

仁  何をおっしゃるの、沢庵に味噌汁に麦ご飯です。

忠  カレーライス・・・。

信  ライスカレー・・・。

義  お茶漬け・・・。

徳  鯖の煮付けに、ラッキョに海苔・・・。

敬  たしか、野菜の煮込みに、薄味の御澄し・・・。



            平然ということ。

未完 いずれ書き始めます・・・。


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